ドリームキャスト(Dreamcast)


本機以降セガは家庭用ゲーム機の生産を終了しており、事実上セガの最後のゲーム機です。ドリキャスの略称で呼ばれています。
ソニーのプレイステーションからの市場勢力を奪回するため、セガサターンに代わる社運と期待を賭けた次世代機として投入されました。

ソフトウェアの供給媒体は、ヤマハと共同開発した倍密CD-ROMとしての機能と、同等形状で1GBの容量を持つ独自規格GD-ROMを採用。サターンとの互換性はなかったが、その他でGD-ROMを再生する機器はアーケード用ゲーム機以外ではほとんど存在せず、事実上ドリームキャスト用ゲームソフト専用規格のディスクとなりました。
特徴としては、通信用のアナログモデムを標準搭載した点です。
通信システムを初期装備しているゲーム機としては史上初でした。
これまでのゲーム機とは違い、後付の大きなオプションや本体の性能を底上げするようなツールは一切発売されず、あくまでドリームキャスト本体とゲームコントローラ用拡張スロットオプションのみですべてのゲームを再生する事が可能です。
欠点としては、それまでのゲーム機と比較しても放熱と駆動音がものすごく大きく、狭い場所や熱のこもる場所では温度もかなり高くなるため、特に排気には十分に気をつけなければならなかった点が挙げられます。
ゲームのデータを記録する媒体として、モノクロの液晶と十字キー、およびA・Bボタンと、背面にスピーカーが搭載された「ビジュアルメモリ」が採用されました。
ビジュアルメモリには、専用のソフトウェアを1つだけダウンロードして再生するという斬新な機能が組み込まれており、それ自体をゲーム機として利用することも可能でした。
こういったミニゲームをダウンロードできる家庭用ゲーム機用の外部メモリはビジュアルメモリが初でしたが、後に似た製品としてプレイステーション用の周辺機器「ポケットステーション」が発売されています。

セガの社運を賭けた起死回生のハードとして、大々的に広告され話題になったハードです。
新聞での1ページ全部を使った連載広告をはじめ、当時セガの専務だった「湯川英一」氏やジャニーズの「滝沢秀明」が出演したCMや、「セガなんてだっせーよな。プレステのほうが面白いよな」というフレーズを使った自虐的なCMが話題になりました。
この広告戦略においてハードとメーカーの知名度が共に急上昇し、「売りに出せば売れる」という人気を博したかにみえました・・。
しかし、発売日当日に肝心の供給体制が整わなかったという最悪の展開を迎えてしまいます。
グラフィックスチップPowerVR2の開発が予定よりも遅れたことが発端となり、ソフトウェアの開発に遅れが生じ始め、さらにはチップの歩留まりが向上せずに十分な量を確保できなかったことが原因だったと言われています。
需要に見合った増産が望めず、結果的に初回出荷量の大幅減、予約キャンペーンも急遽取りやめ・・といった「売りたくても、売りに出せない」という予期せぬ展開に・・・。
他次世代機よりも先駆けての発売を目指し、PS2発売までのユーザー獲得という目標は崩れてしまいました。
事態は深刻さを極め、キラーソフトとして本体と同時期に投入予定だったソフトの多くが発売延期となってしまいます。
初回出荷分は即日完売となったものの、PowerVR2の開発の遅れがもたらしたソフト不足が最後まで足を引っ張り、販売台数は予定を下回る結果に終わってしまう結果に。
その時点で、PowerVR2の歩留まりが向上しない事には、増産によるシュア拡大も望めない状況にありました。
Windowsと互換性があってソフトの製作の敷居は低かったものの、この立ち上がりのつまづきがサードパーティを消極的にし、ソフトメーカーの参入が伸びなかった要因です。
「シーマン」や「パワーストーン」「サクラ大戦」「シェンムー」などの名作もありましたが、結局ソフト不足に悩まされる状況は変わらず・・・ハードの売り上げを牽引するキラーソフトの供給が続きませんでした。
そして、遂に2000年3月4日にプレイステーションの後継機の『プレイステーション2』が発売され、再び苦戦を強いられることになります。
最終的にプレイステーション2との勝敗を分けた要因としては、ソフトの上位互換性が挙げられます。
それまで「ハードが変更されると旧機のソフトはプレイ不可」ということが一般的で、DCもセガサターン用のソフトは使えませんでしたが、PS2がPS用ソフトのほとんどをプレイできる仕様だったのにはド肝を抜かれました。
既に確固たる利用者層を積み上げていたプレイステーションのユーザーをそのまま取り込み、加えてDVDも観れるのですから・・その差は、歴然としていました。
そして、市場において一度も優位に立つことなく2001年3月に製造が終了しました。

家庭用ゲーム機としての役目をほぼ終えたドリームキャストでしたが、その基本能力自体は評価がとても高く、名機中の名機とも言われているのも事実です。
ソフトの方も2007年まで少しながらリリースされ続けてましたし、ほぼ同設計の業務用基板「NAOMI」やサミーの業務用基板「ATOMISWAVE」が長期にわたり稼動していたことからも、決してPS2に劣るハードではなかったと思われるのです。

セガのハード販売撤退は、一つの時代の区切りとなってしまいました。
個人的に、コアなユーザー向けのラインナップが好きだったので、寂しい気持ちになったものです。
新たにマイクロソフト・任天堂・ソニーとの3つ巴の競争が始まり、ゲーム業界は更に上のステージで競争しあい発展していくことになります・・。


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